超音波ハイパーサーミアの細胞に与える
影響 についての基礎的研究

A basic study on the effect of ultrasonic hyperthermia on the cells


卒業論文(一部省略してます)

癌治療とハイパーサーミア

癌は1981年に日本人の死因の第一位となり,それ以降死亡率は更に上昇している.現在日本では癌により死亡する人が年間で約33万人であり,死亡原因のおよそ30%を占めている.つまり,3~4人に一人が癌で死亡していることになる.また,癌は細胞の突然変異により発病する病気であり,人間だけではなく全ての生物がかかる.このため癌は生物の背負った一つの宿命であるといえる.癌細胞は生体組織の構造を壊して機能できなくするだけではなく,血液やリンパ管の中に入りこみ、遠くの臓器にも飛び火して体中で破壊活動を行う.また,癌細胞には寿命がなく,固体が癌のために滅んでも適当な増殖条件さえあれば永久的に増殖し続けることができる.このため,癌は最悪の病気として恐れられており,その対策や治療法は人類にとって最も重要な課題となっている. 現在,癌の治療方法には患者の発生部位や進行段階,症状に応じ,手術療法・内視鏡療法・化学療法・放射線療法・温熱療法・遺伝子治療等が適宜使い分け(時として組み合わせ)られている.このうち超音波エネルギーが用いられるのは温熱療法である.温熱療法はハイパーサーミアとも呼ばれ,生体の熱的時定数(加熱された生体組織の温度が血流により定常状態に到達するのに要する時間)より長い時間にわたり定常的に患部を加熱する療法である.現在,ハイパーサーミアは腫瘍のなかでも血流が乏しい領域に対し有効な療法として,また血流が豊富な領域に対して有効な放射線療法を補う療法として,あるいは抗癌剤の薬効を高める療法(温熱化学療法)として臨床に用いられている.加温法は局所加温と全身加温に分かれ,このうち主流である局所加熱は外部(無侵襲)加温と内部加温(腔内,組織内)に分かれる.また,加温技術は,電磁波によるものと超音波によるものに大きく分かれる.  

ハイパーサーミアの有効性

加熱により細胞が致死障害をうけるまでの正常細胞と癌細胞の加熱時間の関係をFig.1に示す.Fig.1より,46℃以下の加熱では正常細胞と比較して,癌細胞は低い加熱温度と加熱時間で死滅していることが分かる.これは,癌細胞が正常細胞と比較して,熱に弱いことを示している.これは,正常組織では血流量が増加して熱が逃がされるが,癌組織では血流量が減少するため,熱がこもり易いためだと考えられる.次に,加温時間と癌細胞の生存率の関係をFig.2に示す.Fig.2より,42℃以下で加熱した場合は長時間加熱しても癌細胞の生存率にあまり変化は見られないが,43℃以上で加熱した場合は,癌細胞の生存率は指数関数的に減少していることが分かる.これは,42℃で加熱した場合は,全ての細胞が死滅する前に生き残った細胞に熱耐性が生じたためだと考えられる.また,43℃以上に加熱した場合,加熱温度が1℃上昇するごとに癌治療に必要な加熱時間は半分で済むことが分かる.これらの事からハイパーサーミアでは正常細胞までを傷つけないように調整して癌細胞のみを43℃以上に加熱することが必要であると考えられる.
ハイパーサーミアの特徴を以下にまとめる.
1)癌細胞は正常細胞よりも熱に弱い.特に43〜45℃付近では癌細胞と正常細胞の感受性の差が大きい
2) 細胞を43℃以上の一定温度に加熱すると,生存率は時間とともに指数関数的に減少する.
3) 放射線とハイパーサーミアを併用すると放射先感受性を高め,障害細胞の回復を妨げる.
4) 化学療法を併用すると,化学薬品に対する感受性を高める.
5) 外科治療,放射線治療,化学治療に比べて副作用が非常に少ない.


超音波ハイパーサーミアの特徴

超音波ハイパーサーミアは電磁波によるものと比較して,原理的に以下の点で優れている.
1) 超音波は直進性が強く,体内深部への到達が容易(周波数1MHzで8cm程度の深さまで加温可能) (RF誘電型加温法では,電気抵抗の高い脂肪などでの発熱が大きくなり,特に皮下脂肪の発熱が問題となるが,超音波加温法ではこのようなことがない)
2) 焦点を結ばせることが容易(高集束性) (RFをはじめとする電磁波の体内深部での集束は,原理的に難しい) しかしながら,現在我が国で使用されている加温装置の主流はRF波誘電型とマイクロ波照射型であり,超音波ハイパーサーミアの臨床的使用例はこれらに比べてまだ少ない.
また,現状の超音波ハイパーサーミアの問題点を以下に挙げる.
1) 超音波は,同じ周波数の電磁波に比べて波長が短いため骨や空気層(肺,胃,腸など)があると回り込まずに減衰または反射してしまい,患部に到達しないだけでなく,その境界で熱が発生する.このため,肺,腸管のようなガスの多い部位および近くに骨のある領域には適さない.
2) 超音波は集束性が高く焦域が非常に小さいため,治療部位が大きくなると,治療時間が長くなる.



ハイパーサーミアの問題点

現在,ハイパーサーミアは臨床的にも多く使用されるようになってきてはいるが,未解決となっている問題点も多い.これらの問題点を解決することが強く望まれている.代表的な例を以下に挙げる.
1) 最適温度と加温時間の関係がわかっていない.
2) 目的部位(特に深部)だけを的確に加熱する方法が確立されていない.
3) 制御用の正確な無侵襲温度測定法が確立されていない.
4) 温度分布監視用の無侵襲温度分布測定方法が確立されていない.
5) 現在の治療効果判定は時間がかかり,正確さがまだ不十分である.

研究の目的

超音波ハイパーサーミアは臨床的な検討があまり行われていないため,超音波照射時に人体が受ける影響については正確に把握されていない.超音波が細胞に与える影響は,熱的影響のほかに様々な要因が複合的に作用するため,人体に予想外の悪影響を及ぼす可能性がある.そこで本研究では繊維芽細胞を用いて,超音波ハイパーサーミアが細胞に与える様々な影響について実験・検討を行った.

細胞を用いた人体モデル


本研究においては,人体に近いモデルに超音波を照射するという観点から,ゲル内に細胞を均一に播種したモデルを扱う.本章では細胞を3次元的に播種する方法を簡単に述べ,そのために必要なアルギン酸ナトリウムの諸特性について述べる

アルギン酸ナトリウム

アルギン酸ナトリウムの構造式をFig.3に示す.アルギン酸ナトリウム水溶液はカルシウム塩溶液に滴下すると,2価の金属イオンの添加で簡単にゲル化する.これは,アルギン酸のカルボキシル基がカルシウムイオンを抱え込んだエッグボックス型架橋を形成するためである.また,エチレンジアミン四酢酸(EDTA)などのキレート剤を用いてカルシウムイオンを除くことにより再びゾル化し,これが可逆的に起こる.この様子をFig.4に示す.したがって,アルギン酸ナトリウム水溶液に細胞を播種し,そこにCa2+を含む培養液を混入することによって,細胞を混入したアルギン酸ゲルができる.ゲル化に必要な時間は20分であり,細胞の生存時間は90分ほどである.

測定結果及び考察


2%アルギン酸ナトリウム水溶液の音速の温度特性をFig.8に示す.Fig.8より,温度上昇に伴い,音速は大きくなっていくことが分かる.このため,音響インピーダンスの変化が考えられるが,音速の上昇の割合は緩やかであり,密度が温度上昇に伴って小さくなることを考慮に入れると,音響インピーダンスの温度上昇に伴う変化はほぼ無いものと考えられる.次に減衰の温度特性をFig.9に示す.Fig.9より,温度を上昇させても減衰はほぼ変化しないことが分かる.このため,アルギン酸の減衰は温度上昇に影響しないことが分かる.次に減衰の周波数特性Fig.10に示す.Fig.10より,減衰は周波数にほぼ比例して大きくなることが分かる.次章で扱う凹面型振動子の共振周波数である1[MHz]の減衰は,0.012[neper/cm]だと推定でき,温度上昇による変化はほぼ見られないと考えられる.したがって,アルギン酸は温度上昇による性質の変化は見られないと考えられる. 以上より,アルギン酸ナトリウムゲルは耐熱性が強いと考えられるので,超音波照射によって,ゲル内の温度が上昇した場合には,ゲルの性質の変化はないものと考えられる.したがって,アルギン酸ゲル内に細胞を播種した際は,細胞におこる変化のみが観察できると考えられる.

熱的要素が細胞に与える影響

アルギン酸ゲル内に3次元的に存在する細胞に超音波を照射した場合の細胞に与える影響について検討した.
実験系の確立 超音波を照射して人体モデルを加熱する前に,使用するアルギン酸ゲルの温度上昇の特性を知る必要がある.

温度上昇分布の測定方法
温度上昇分布を測定するための実験系をFig.11に示す.シャーレ内は,4%アルギン酸水溶液4[ml]と硫酸カルシウムを0.32[g]混入した培養液4[ml]を混ぜ合わせ,2%アルギン酸ゲル8[ml]を入れた.温度分布の測定に用いた凹面型セラミック振動子とK型熱電対の形状および特性をTable1に示す.振動子の焦点をシャーレ底面から2.0[mm]上方の位置に設定した.超音波照射に伴うアルギン酸の温度変化は,K型熱電対を用いて測定し,デジタルマルチメーターによって数値を読み取った.その際,熱電対自体の温度上昇による影響は考慮してある.温度分布は,シャーレ中心を原点として焦点平面の+2[mm]までの範囲を0.5[mm]間隔で測定した.各点で,照射開始後5分まで温度上昇の測定を行った.

焦点での温度上昇特性
実験方法および結果,考察
超音波の照射エネルギーを変化させた場合の焦点でのアルギン酸ゲル内の温度上昇の時間特性をFig.12に示す.またFig.12において,パラメータを時間とした場合の照射エネルギーと温度上昇の関係をFig.13に示す.Fig.13より,照射エネルギーが大きいほど短時間で温度が上昇し,その後,温度は定常状態になることが分かる.さらに,人間の体温である37℃から,細胞が死滅する43℃に温度を上昇させるためには,照射エネルギーを8.96[W/cm2]以上にする必要があると分かる.また,どの照射エネルギーも、ほぼ一定の傾きで温度が上昇していることが分かる.この直線の傾きは媒質固有のものであるため,熱電対とアルギン酸ゲルの摩擦による温度上昇の影響はほぼ無視してよいと考えられる.また,Fig.13より,照射エネルギーに比例して温度が上昇していることが分かる.以上より,1つの照射エネルギーで温度分布を測定すれば,その他の温度分布も推定できると考えられる.

温度上昇分布
実験方法および結果,考察
照射エネルギーが11.06[W/cm2] の場合の温度分布をFig.14示す.Fig.14より,照射時間が長くなるにつれ,加熱範囲が広がることが分かる.また,温度上昇の中心が原点(x,y)=(0,0)と異なり,(x,y)=(0,0.5)となっているが,これは熱電対を固定する際にずれが生じたためだと考えられる.
次に,温度分布の中心からx方向の各測定点における温度上昇特性をFig.15に示す.また,Fig.15において,パラメータを時間とした場合の焦点からの距離と温度上昇の関係をFig.16に示す.Fig.15,16より,180秒間以上照射した場合,焦点より0.5[mm]離れた点では温度が平衡状態になっていることが分かる.このため,照射時間が長くなれば,さらに広い範囲で温度が平衡状態になるものと考えられる.したがって,この範囲に細胞を播種したアルギン酸ゲルをおけば超音波が細胞に与える影響について検討することができる.


細胞を用いた実験


前述の実験系で実際に細胞を播種して実験を行い,その際に細胞に与える影響について検討する.

今回用いる繊維芽細胞の特徴を以下に示す.
1) 環境に強く,扱いが比較的容易
2) 一定条件下では常に一定の分裂を行い続ける
3) 細胞接触に伴う分裂停止

実験方法および測定条件
Fig1,Fig.2より,癌細胞が死滅する43℃よりも高い温度で加熱しないと正常細胞である繊維芽細胞が死滅しないと考えたため,照射エネルギーは前節で温度分布を測定した時よりも大きい13.38[W/cm2] とした.また,加熱時間は10分,20分とした.これよって,Fig.2において46℃で加熱した場合と同様の条件が得られ比較検討できると考えられる.実験系をFig.17に示す.シャーレを固定するために,前節の温度分布測定では用いなかったシャーレ台を用いたが,この影響はほぼ無視できると考えられる.用いたシャーレ台は比較的加工しやすい真鍮で作製した.細胞の評価は,ゲル内の一部のみを取り出して行った.

細胞の評価方法
評価するまでの途中の手順をFig.18に示す.概要は以下のとおりである.
1) シャーレよりアルギン酸ゲルを取り出し,底面より2.0[mm]または2.5[mmの高さで切り取る.
2) 中心より対称に2[mm]で切り出し,2 35 2.1or2.5の直方体を2個取る.
3) 中心部より対称に0.8[mm]間隔で合計6個の直方体を取り出す.
4) 取り出したそれぞれのゲルにクエン酸ナトリウムを20[μl]入れ,20分間放置してゾル化させた後,トリファンブルー試薬を入れる.
5) ゾル内に存在する細胞の画像を光学顕微鏡で取り込み生存率を測定する.

ここで,手順4で示すクエン酸ナトリウムはFig.4中で示しているカルシウムイオンを取り除くためのものであり,トリファンブルー試薬は細胞膜に障害のある細胞のみ試薬が入り込み,細胞が染色される.

実験結果及び考察
 光学顕微鏡で取り込んだ画像の一例をFig.19に示す.白い円状のものが超音波照射後も生きている細胞であり,青い円状のものが超音波照射によって死滅した細胞である.次に,各照射条件A,B,C,Dにおける細胞の生存率をそれぞれFig20-23に示す.ここで,照射条件を以下に示す.
A: 切り取り高さ2.5[mm],加熱時間10分
B: 切り取り高さ2.5[mm],加熱時間20分
C: 切り取り高さ2.0[mm],加熱時間10分
D: 切り取り高さ2.0[mm],加熱時間20分
Fig.20-23の横軸は,シャーレ中心部からの距離を示している.測定位置の中心から 1.0[mm]の範囲では超音波の音圧要素の影響が現れるが,Fig.20-23より,細胞の生存率の変化は,測定位置によらずほぼ均一であり,細胞は主に熱的影響によって死滅していると考えられる.また,測定回によって細胞の生存率に大きな差異が見られる場合があるが,これは評価段階における誤差が影響しているものと考えられる.次に,各照射条件における細胞の平均生存率をTable2に示す.なお,Table2.(c)の 2回目の測定の-0.8[mm]から0[mm]の範囲は計測上の誤差が大きく現れていると考えたため,この点を除外して平均を算出した.Table2より,加熱時間が長くなると細胞の生存率が低くなっていることが分かる.また,切り取り高さを焦点よりも高くすると,細胞の生存率が高くなっていることが分かる.これはゲルと空気の境界面での反射波の影響のために,焦点より高い面では照射エネルギーが弱まって温度があまり上昇していないためだと考える.
 次にFig.2における癌細胞の生存率と今回得られた結果との比較を行う.Fig2 より,46℃で加熱した場合,加熱時間が10分,20分の場合は癌細胞の生存率はそれぞれ26.8%,6.3%であり,今回得られた結果と比較して生存率が非常に低くなっていることが分かる.これは,今回の実験で細胞の生存率を評価する際に,アルギン酸が細胞の周りに付着していたために,細胞が染色されにくくなっていたためだと考えられる.

今後の課題
前節の結果より,今回用いた人体モデル及び評価方法での超音波ハイパーサーミアの評価が可能であると考えられる.しかしながら,今回はゲルの厚みが薄かったために反射波の影響が無視できない.従がって,細胞を混入していないゲルを今回作成したモデルの上に置き,等価的にゲルを厚くする必要があると考えられる.さらに、今回用いたモデルで細胞に与える熱のみの影響を調べ,超音波照射による加熱の場合と比較検討し,生体への適用限界を調べる必要があると考えられる.また,実際に癌細胞を用いた場合についても検討する必要があると考えられる.